学びのフォーラム
学ぶとはどういうことか。
この問いの前では、
皆が対等な学び手。
ようこそフォーラムへ。
学ぶとはどういうことか。
この問いの前では、
皆が対等な学び手。
ようこそフォーラムへ。
「学ぶ」とはどういうことか?
「わかること」・「できること」・「考えること」
とはどういうことだろうか?
高校生×大学生×社会人
同じテキストを読み、対話し、
本気で考える
佐伯 胖
高校生、大学生、社会人が合同で語り合うという興味深い企画が、なんと6年前から続いているというのは、驚くべきことです。実際に参加してみると、非常におもしろく、また「考えさせられる」(こんな言い方、日本語としてダメかな)ことも多くて、「来年もまた来たい」という思いになります。
全3回の「学びのフォーラム」では、拙著『「わかり方」の探究-思索と行動の原点-』(小学館、2004年)の中の3つの節をとりあげて、まずはそれを各自が精読、そのあと高校生・大学生・社会人を交えた4人の小グループで話し合います。その後、話し合いの結果「わかってきたこと」や、浮かんできた「佐伯への質問」があって、それらをうけて佐伯が小講演風に話す、という流れでした。
ところで、テキストとされる『「わかり方」の探究-思索と行動の原点-』について、著者として若干「解説」めいた話をさせていただきます。
この『「わかり方」の探究-思索と行動の原点-』(以後、『探究』と略記)の大部分(約三分の二)は、旧著『「わかり方」の根源』(小学館、1984年、以後『根源』と略記)からのものであり、その『根源』はまた、その大部分が1983年の4月から連載された『総合教育技術』誌のコラムを加筆修正したものです。ということは、原稿執筆がほぼ40年前のものがほとんどだということです。そんな「昔」に書いたものだけれど、今読み返してみて(自分で言うのもおこがましいが)、「時代遅れ」の感はありません。むしろ、自分自身、「ああ、そうなんだ」とあらためて「発見」して、「そうなんだ」と納得を新たにする言葉に出合い直しています。これは自分自身が全然進歩していないことの証拠でもあるのですが、今、思えば、「あの頃は良かった」とも言えるのです。
1983年というと、私が「教育」という世界に足を踏み入れてまだ数年しか経っていません。私はもともと工学部出身で、慶應義塾大学工学部(理工学部設置以前)の管理工学科の学部卒・大学院修了後、米国のワシントン大学大学院で心理学を専攻し、博士号取得して帰国し、東京理科大学理工学部経営工学科助教授として7年ほど教鞭をとっていましたが、1981年の4月から、突然(まさに晴天の霹靂で)東京大学教育学部学校教育学科の助教授に赴任しました。それまで教育の「キョの字も知らない」者が、いきなり教育の専門家にされてしまったわけですから、日々、おどろきととまどいの連続でした。泥縄式にあれこれ「専門書」らしきものを読みあさってみましたが、まさに「専門が違う」ので、理解できない。なんでそんなことを議論するのかという、そもそもの話の流れがつかめず、途方にくれる毎日でした。
そこで私は「腹をくくった」次第です。ようするに、「“教育”は、自分で考えるしかない」ということです。日常、ふと、「これって、“教育”と関係あるかな」と思うことをもとに、その「根源を問う」ということです。ふと「○○って、どういうことだろう?」と考えて、自分なりにあれこれ考えを深めてみる、・・・そういうことでまとめたのが『根源』でした。そのような、「ものごとの根源を問う」クセのようなことは、いまだに続いています。ただ、歳をとってくると、あれこれやるべき「オシゴト」が増えて、ふと「○○って、どういうことだろう?」なんて、悠長に考えを巡らせるヒマもユトリもなくなって来ており、日々、「ねばならぬ、べきである」ことに追い立てられています。そんななかで、あらためて『探究』を読み返してみると、「○○って、どういうことだろう?」という、人間にとって大切だった「ものごとの根源を問う」精神が、あらためて、新鮮によみがえってきます。こういう「問い」って、久しく忘れていたなぁ、というのが40年近い年月を経た私の実感でした。
このように、「ものごとの根源を問う」ことは、今の若い人たちにとって、果たして「通じる」ことなのだろうか。ともかく何でも「知りたいこと」があれば、ネットで「ググッ」てみれば瞬時に「正解」が得られるというこの時代に生活している今の人たちにとって、いちいち「根源を問う」なんてことに「のって」くれるのだろうか。
そんな疑問はこの「学びのフォーラム」に参加すると、完全に吹き飛んでしまいました。高校生たちが本気で「根源を問う」ことに集中し、ともだちと語り合うことを楽しんでいるのです。
「根源を問う」という問いは、「答えを知りたい」問いではありません。「問うこと」自体を自分の中に生み出すことです。こういうことはひとりで考えるよりも、誰かと「ともに」考えるとき、またそれについて「話し合う」ときに、もっとも生き生きと呼び覚まされることです。
しかも、これは年齢とは関係ありません。身分、職業、立場とも関係ありません。「学びのフォーラム」では、高校生だけでなく、社会人(多くは日頃彼らを教えている教員たち)も、一緒になって「考える」ことに熱中しているのです。そういう対話の渦に巻き込まれると、誰もが生き生きとしはじめます。「考える楽しみ」を発見し、それに満喫しているのです。
こういう「根源を問う」経験をすると、彼らの多くは、彼らが日常生活の中で、いかにそういう「根源的問い」を問わなくなっているか、あるいは問えなくなっているかに気付くのです。日常生活での問いのほとんどが、「どうすればいいのか」というHOW-TOであったり、「どうすべきか」という「ねば・べき」思考であったり、「何が本当か(What is true)」ではなく、「何が本当とされているか(What is supposed to be true)」であるかになっていることに気付くのです。彼らが、私たちが、そういう「考えさせない」プレッシャーの中に生きていることに気付くのです。
こんな素晴らしい経験をさせてくれる「学びのフォーラム」は、何か「新しい知識を得る」というような、よくあるシンポジウムとは全然違います。参加者が、みんな「対等」で、一緒になって、「根源を問う」営みに熱中する。
これは毎年あっても、「マンネリになる」ことは絶対あり得ません。私自身、もう何回も経験していますが、その都度、まったく新しく、新鮮に「自分を取り戻す」喜びに浸っています。
やっぱり、このフォーラムは、つづけるべきでしょうね。
それが私の、これまで数回経験した者としての実感であり、希望であり、お願いでもあります。これまでのフォーラムへの感謝をこめて。
2020
新型コロナにも大雪にも負けず、開催しました。佐伯先生はオンライン参加。来年のハイブリッド開催もできるかもしれないと気が付く。
TO THE NEXT FUTURE…
平成28年12月18日に山形大学小白川キャンパスを会場にして、第6回やまがた教員養成シンポジウムを開催しました。これは、大学院教育実践研究科と地域教育文化学部が、公益財団法人やまがた教育振興財団の支援をえて、東北文教大学を共催として開催したものです。当日は、高校生45名を含む、210名の参加がありました。
本シンポジウムのテーマは、「『学び』を問い続けて」でした。現在、日本の教育は、「アクティブ・ラーニングの視点で生徒の学びの質を高めていくこと」が問われています。この学びの質の高度化は、小中学校の義務教育から高校・大学に至るまでの一貫した動きです。本シンポジウムは、「よりよく学ぶとはどういうことか」を主題に、新しい教育のビジョンを探ると同時に、その場に県内の高校生をまきこみ、教師教育の新たな高大接続のあり方を試みるものでした。今回は、認知科学を中心に日本の「学び」研究を牽引してきた佐伯胖氏(東京大学名誉教授)と今日の学習科学研究をリードする白水始氏(東京大学教授)を講師としてお招きしました。
シンポジウムの第一部では「学ぶとはどういうことか」と題した、高校生と大学生の合同ゼミを公開しました。森田智幸准教授がコーディネーターをつとめ、テキスト(「わかり方」の探究、小学館)を読み、「学び」について考えました。この場には、佐伯氏と白水氏も参加して高校生らの議論に耳を傾けました。テキストの著者である佐伯氏は、高校生の疑問(目標をもとに「できるようになること」と夢中で「できてしまうこと」の違い)に応えて、自分らしい「ホントウの学び」について熱く語りかけていました。
高校生からは、「テキストを1人で読んでいる間は1通りの理解しかできなかったけど、(略)他の高校の方や大学・院の先輩方と話すことによって、絶えず新しい発見ができてとても楽しかった」という感想がありました。参加者からは、「高校生の学びたいというエネルギーを強く感じました」などの感想があり、こうした学びの場に立ち会うことで、今、求められる学びのあり方について考える機会となりました。
第二部のテーマは「学び研究の履歴―これまでと、これからー」でした。
はじめに、佐伯氏の問題提起がありました。佐伯氏は、「考える、わかる」という営みを「学び」という名詞で初めて表したとして、「教育」を「学び」から問い直す必要性を提起しました。人間は、「教えられてしまう」がゆえに、「自分で考えることをやめてしまうのではないか」ということです。大事なのは、「何が本当とされているか」ではなく、「何が本当とあなたは考えているのか」であるという提起でした。
そのあと、白水始氏から佐伯氏に質問するというかたちで、対談が行われました。対談の中では、「自分自身を一人称で考えてみる、私はどうなのだろう」から始めること。具体から抽象を導くというのは誤解であって、具体の連続性で考えること、などが語られました。白水氏からは、佐伯氏の研究への応答や最新の学習科学の実験結果が示されました。
参加者からは、「自分の考え方を根本から見直さなければならないということがよくわかりました」、「正解だとわかったとたんに思考がストップしてしまうくせのある生徒が、…なぜそうなるか、じっくり考えようとする生徒になってほしいと思います。そのような教員になりたいと、明日からもがんばろうとパワーをいただきました」という感想がありました。
シンポジウム全体については、「とても有意義なシンポジウムなので今後も続けていただきたい」、「様々な可能性を持った企画だと思いました。高校生や大学生を巻きこんでいること、めざす教師像や学校のあり方など、あらためて実感しております」という声がありました。高校から大学、教職大学院や現職研修におよぶ多様な参加者をえて、山形県における教師の養成と成長にとって有意義なシンポジウムになりました。
(報告:江間史明)
平成29年12月10日に山形大学小白川キャンパスを会場にして、第7回やまがた教員養成シンポジウムを開催しました。これは、大学院教育実践研究科と地域教育文化学部が、公益財団法人やまがた教育振興財団の支援と東北文教大学の共催、山形県教育委員会の後援をえて、開催したものです。当日は、高校生74名を含む、181名の参加がありました。
シンポジウムのテーマは、「質の高い学びの実現に向けて」でした。現在、日本の教育は、「アクティブ・ラーニングの視点で生徒の学びの質を高めていくこと」が問われています。この「学びの質の高度化」は、小中学校から高校の授業改善、大学入試改革に至るまでの一貫した動きです。本シンポジウムは、こうした新しい教育のビジョンを探ると同時に、その場に県内の高校生をまきこみ、教師教育の新たな高大接続のあり方を試みるものでした。
今回のシンポジウムの特徴は、高校生の参加者の倍増です。一昨年の第5回シンポジウムから、高校生と大学生の合同ゼミを位置づけています。高校生は、一昨年の30名、昨年の40名に対し、今年は74名に増えました。昨年からのリピーターの高校生も含まれています。高校は、山形東高校、山形西高校、山形北高校、上山明新館高校、天童高校、東桜学館高校、新庄北高校、米沢興譲館高校、長井高校でした。
シンポジウムの第一部では「学ぶとはどういうことか」を主題に、高校生と大学生あわせて98名で合同ゼミを行いました。森田智幸准教授がコーディネーターをつとめ、テキスト(「わかり方」の探究、小学館)を読み、「学び」と「遊び」の関係について考えました。この場には、テキストの著者である佐伯胖氏(東京大学名誉教授)にも参加いただきました。佐伯氏は、認知心理学を中心に日本の「学び」研究を牽引してきた研究者です。
たとえば、佐伯氏が、次のように指摘した箇所があります。「人間本来の活動では、『遊び』と『学び』が渾然一体となっていたはずのものが、学校教育によって『勉強』が導入されることで、遊びは『勉強』の対立語になってしまった」(p.203)。佐伯氏は、「勉強」=「学び」-「遊び」と表します。この式を移項させて、「学び」=「勉強」+「遊び」ではないか、と考えたグループがありました。この指摘は、参加者が、日々の勉強を「学び」から問い直すものになりました。高校生からは次のような感想がありました。
「昨年も参加したが、『勉強』=『学び』-『遊び』を移項するという考えに気づかなか った。(中略)学問を教えるには感情が必要で、その感情は『面白さ』と『驚き』だと思った。私は教員になりたいので、早く大学生になって、もっと深く教育について研究・探究したい。このゼミに参加する度に、詳しく調べたい内容が自分の中で増えていきます」
「学び=勉強+遊びがしっくりきました。大事にしていきたいです。高校に入ってから特に、おもしろいと思うこと、『おどろき』を感じることを忘れていたなと思います。今日、来れて本当によかったです」
「著者の佐伯先生に加わって頂いてできたことで、すごく楽しく、納得がいく議論ができました。さらに学びについて深まりました。(中略)この企画はやっぱり大学生とも交流できるし、大学を身近に感じられるのですごくいいなと思いました」
午後の第二部は、質の高い学びの実現に向けて「学びのフォーラム」を試みるものでした。高校生と大学生の合同ゼミに、一般の参加者も加わった拡大合同ゼミの企画です。
出口毅研究科長の挨拶のあと、はじめに森田准教授と佐伯氏の対談の形で問題提起がありました。特に、高校生と大学生の合同ゼミで「よくわらかない」といつも議論になる点について、森田准教授から佐伯氏に質問しました。基礎とはどのようにとらえたらよいか、具体的に考えるとはどういうことか、といった点です。それらに対する佐伯氏の考えをうけて、フロアのグループで議論しました。グループにはなるべく高校生や大学生が入り、世代をこえて質の高い学びについて考え合いました。フロアからの応答に、佐伯氏がさらに語りかける場面もありました。
参加者からは、次のような感想がありました。
「勉強、学びということの、いろんなことが分かってきました。分からないことを楽しむとか、面白いと無理やりでも思うとかは、最初は難しいけど、やっていきたいと思った。あと、この本を、自分の高校の先生全員に読んでもらいたい」(高校生)
「毎回、行きつく結論が違って面白かった。時間がもっとほしい。先生もたくさん来てほしい」(高校生)
「高校生と大人と意見を変わることで、前回参加したときよりも『学ぶ』ということについて考えを深めることができました。それぞれのグループで話し合ったことを全体で共有して、またグループに戻って考えることで、うまく言葉で表現できなかったところが表現できるようになったり、行き詰まっていたところがすんなり入ってくるようになったりと、自分の中で変化があったことが、参加してよかったなと思います」(大学生)
「昨年に引き続き参加して思うことは、新採以来築き上げてきた『学校の常識』を全部壊される不安、恐怖そして『わくわく感』を感じるということです。今すぐ何かを起こしたくなる、参加者の心に火をつけるシンポジウムだと思います。(中略)学びのフォーラムの試み、大変よかったです。講演会もいいですけれど、参加者にとってより自分事の学びになったと思います」(教員)
「高校生と話をすることはほとんどなく、同じ教育に興味のある方と話をする(違う視点からの話)ことは、興味深かったです。学ぶ側から学びを考えるということも新鮮でした」(教員)
以上のように、高校生から大学生、現職研修におよぶ多様な参加者をえて、山形県における教師の養成と成長にとって有意義なシンポジウムになりました。シンポジウム当日の山形新聞の報道はコチラをごらんください。
(報告:江間史明)
平成30年12月16日(日)に、大学院教育実践研究科の主催、山形県教育委員会の後援で「第1回学びのフォーラム」を開催しました。「学びから教育を問う」を主題に、高校生・大学生・社会人が集まり、合同でゼミナールを行うものです。高校生と大学生の合同ゼミは、3年前から続けています。今回からは、社会人を加えて新たに「学びのフォーラム」として企画しました。当日は、高校生71人、大学生28人、社会人81人の合計180人の参加がありました。参加した高校は、山形東高校、山形西高校、山形北高校、上山明新館高校、谷地高校、東桜学館高校、新庄北高校、米沢興譲館高校、長井高校の9校でした。
合同ゼミのテキストは、佐伯胖『「わかり方」の探究』(小学館)です。このフォーラムまでに、大学生と高校生は、12月1日と12月9日に事前のゼミを行っています。当日は、テキストの著者である佐伯胖氏(東京大学名誉教授)に参加いただきました。佐伯氏は、認知心理学を中心に日本の「学び」研究を牽引してきた研究者です。
午前中の第一部は、高校生と大学生でグループをつくっての合同ゼミでした。森田智幸准教授がコーディネーターをつとめました。テキストの第3章の「『遊ぶ』ということの意味」の節を読み、「学び」と「遊び」の関係について考えました。
午後の第2部は、森田准教授と佐伯氏の対談形式で進行しました。高校生や大学生、社会人といった異なる世代の人でグループをつくりました。高校生がマイクを握りテキストを読んで考えた疑問を率直に発言したあと、佐伯氏のコメントがあり、それについてグループで話し合いました。
たとえば、テキストに、「基礎学力重視説」を検討した次の一節があります。
「ものごとに『基礎的』と呼ばれる事項があることは認める。しかし、そのような事項が『基礎的』であるのは、それが活用されている文化的実践の文脈においてであり、事項そのものが独立に『基礎的』なのではない。(中略)どうして基礎的なのかが一目でわかる事態を示しながら、基礎事項を教えることが本当の『基礎の教育』である。」(30-31頁)
この「一目でわかる事態」をどう考えるか。ある高校生は、これまで学校で経験した授業で、黒板の左上の端に「目標」というマグネットがはられ、黒板の右下の端に「まとめ」というマグネットがはられる事実を指摘しました。確かに「一目でわかる事態」ではあるけれども、「目標」と「まとめ」のマグネットばかりが記憶に残り、内容はほとんど印象に残らないことを発言しました。高校生の多くが、これに共感してうなづきました。
佐伯氏は、そうした板書は、一見わかりやすいけど、そこで学び手に疑問を起こさせないようにしているのは、「横柄」(arrogance)ではないかと応答しました。むしろ、「本当か」「なんでやねん」「うそだろ」というマグネットを作ってはっていけばいいと発言して、会場が笑いにつつまれました。
今回のフォーラムの特徴は、「学び」を主題にした合同ゼミナールが、それぞれの人に「学び」の原点を思い起こさせる場になっていることを示したことです。
(報告:江間史明)
令和元年11月30日(土)、12月8日(日)、12月15日(日)に、大学院教育実践研究科が主催して「第2回学びのフォーラム」を開催しました(後援:山形県教育委員会)。
このフォーラムは、「学びから教育を問い続ける 」を主題に、高校生・大学生・社会人が、合同でゼミナールを行うものです。今回は、高校生83人、大学生30人、社会人68人の合計181人の参加がありました。参加した高校は13校で、山形東高校、山形西高校、山形北高校、上山明新館高校、谷地高校、左沢高校、東桜学館高校、新庄北高校、新庄南高校、南陽高校、米沢東高校、長井高校、酒田東高校の各校でした。
合同ゼミナールのテキストは、佐伯胖『「わかり方」の探究』(小学館)です。12月15日には、テキストの著者である佐伯胖氏(東京大学名誉教授)にも参加いただきました。佐伯氏は、認知心理学を中心に日本の「学び」研究を牽引してきた研究者です。
12月15日午前中の第一部は、高校生と大学生、社会人でグループをつくっての合同ゼミでした。森田智幸准教授がコーディネーターをつとめました。テキストの第3章の「『遊ぶ』ということの意味」の節を読み、「学び」と「遊び」の関係について考えました。
午後の第2部は、森田准教授と佐伯氏の対談形式で進行しました。高校生がマイクを握りテキストを読んで考えた疑問を率直に発言したあと、佐伯氏のコメントがあり、それについて、高校生や大学生、社会人で構成するグループで話し合いました。
たとえば、本来の評価とは、実践のなかで「できてしまったこと」について、後から「よかったね」と味わうことではないか、という佐伯氏の提起がありました。参加者は、それぞれ自分の直面している「学び」の場を捉え直し、これからの「学び」のあり方を考えていました。たとえば、高校生からは、次のような感想がありました。
・現役で学んでいる高校生として、「学ぶ」楽しさを確認する良い機会になりました。高校1年生なので 1 番年下なのですが、先輩・大学生・教師のみなさんが私の視線にまでおりて一緒に考えてくださって、とてもうれしかったです。…今回のゼミの全日程を終えた今、私は勉強したい気持ちでとてもワクワクしています。勇気をだした参加してよかったです。
・「学び」というのは、他人から与えられるものというよりは、自分から興味があることやもっと知りたいと思い、そこから得られる知識や経験が本当の「学び」になるのかなと思いました。自分の「好き」を大切にしたいです。…今の教育は、評価となる基準が先にあり、それを満たすために私たち高校生ががんばっている感じがして悔しいなと少し思いました。
・先生に「なんでやねん」と投げかけてみたいと思った。…先生も生徒と同じ立場に立って考えるというのは、高校にはないことなので、たくさんとりいれてほしいと思いました。
大学生からは、次のような感想がありました。
・今回は、高校生とだけではなく、幼稚園の先生とも話すことができて、学生とは違う大人の視点の話も聞けて楽しかったです。…「学ぶ」という言葉を簡単に使いがちですが、改めて「学ぶとは何か?」と問われると本当に難しいと感じました。…会社員の方の話でもあったとおり、「自分が今、学べている」と感じるゼミナールで、とても楽しかったです。
・今日は、高校生とは「文化の広がり」について具体的な話で盛り上がりました。…今日の内容と話し合いを通じて、「人とのつながり」を感じました。異なる文化に入っていき、お互いに近づいて広げていく。そして能力ではなく、気づいたら関係ができあがっている。これから教師を目指す上で、子どもたちと文化を共にし、共有していけるように頑張っていこうと思いました。
他方、参加した社会人の教員からは、次のような感想がありました。
・教員2年目、…ぼく自身もそうですが、学校には、後から「よかったね~」と評価する場面がとても少ないと思います。授業はもちろん、行事も、計画・目標を(先に)立てます。なので、「後からの評価」はとても新鮮でした。
・実際に高校生や大学生と話をすることができたので、新しい視点や考え方に出会うことができました。とても楽しかったです。今日のゼミに参加して、教師が楽しむことが大切だと思いました。その教科、単元、教材のおもしろさがわからないと、生徒も楽しむ(学ぶ)ことが難しくなると思うので、今後の教材研究では、発見のきっかけやその歴史など、その教材に背景にあるものを大切にしていきたいと思います。
今回のフォーラムには、教員以外の会社員の社会人の方も参加していました。「学ぶって何かな?」と興味を持ち、ホームページから参加を申し込んだということでした。会社員の方は、この合同ゼミの感想については、次のように述べています。
・一つの意見からどんどん広がっていくのが印象的。もしかしたら、とか話が飛んでいくのも楽しそうで、まさに楽しみながら=遊びながら、答を見つけていくところが、『学んでいるなあ』と思いました。…今回参加してみて、学びを体験できたというのがうれしいし、とにかく楽しかったです。学び続けることの意味、楽しさを考えて、これからの生活に役立てていきたいです。
現在、知識基盤社会を迎えて、「学び続ける」ことの必要性が、社会のあちこちで強調されています。「学びの質の向上」は、高校や大学、会社などあらゆる場で共有できる課題になりつつあります。今回のフォーラムは、「学び」を主題に、世代を越えた双方向の議論の場になっていました。このように「学び」を真剣に問い続ける人をどう支えていけるか。それを支えられる専門家としての教員をどう育てていけるのか。引き続き考えていきたいと思います。
(担当:森田智幸、山科勝、江間史明(文責))
令和2年12月6日(日)、12月12日(土)、12月20(日)に「第3回学びのフォーラム」を開催しました。今年度は、大学院教育実践研究科が主催し(後援:山形県教育委員会)、文部科学省の委託事業「令和2年度教員の養成・採用・研修の一体的改革推進事業」の一環として開催しました。
このフォーラムの主な活動は、「学びから教育を問い続ける」を主題に、高校生・大学生・社会人が、合同でゼミナールを行うことです。平成27年度から、高校生と大学生を対象とした合同ゼミナールを始めて、今回で6回目となりました。
新型コロナウィルスへの感染症対策を徹底した上で実施し、3回の合計で126名(高校生56人、大学生23人、社会人47人)の方が参加しました。参加した高校は11校、新庄北高校、東桜学館高校、谷地高校、左沢高校、山形東高校、山形西高校、山形北高校、上山明新館高校、長井高校、米沢興譲館高校、米沢東高校でした。
合同ゼミナールのテキストは、佐伯胖『「わかり方」の探究』(小学館)です。全3回、森田智幸准教授が担当しました。12月20日には、テキストの著者である佐伯胖氏(東京大学名誉教授)にもオンラインで参加いただき、適宜コメントと、最後に総括として講評をいただきました。
3回目、12月20日は、テキストの第3章の「『遊ぶ』ということの意味」の節を読み、「学び」と「遊び」の関係について考えました。
会場からは、「本来的な意味での遊び」の経験として、そのもの自体に没頭する経験として、幼少期の「かまくらづくり」や「秘密基地遊び」、また、「沢遊び」の事例が紹介されました。こうした遊びは、オンライン等のゲームですでに枠が決められているのとは異なり、自分(たち)で枠をつくり、変えていけることに特徴があります。
高校生や大学生は、授業中にも似たような経験をしているようです。高校生は、現代文の時間に安部公房の『棒』を読んだ後、次の数学の時間になっても、あれやこれやと、つい考えてしまっている自分がいた経験を紹介してくれました。
佐伯氏からは、「無目的な」、または、「ブラブラする」時間の大切さが紹介されました。こうした話を受けて、高校生からは、好きな教科と嫌いな教科の背景には「ブラブラできるかどうか」があるかもしれないということが提起されました。配布された資料や先生の話をきっかけに、思いついたことを考えてしまったり、話してしまったりすることもあるそうです。学ぶためには、「ブラブラ」する余白が残されていることが重要になりそうです。
最後に、佐伯氏から、普段は教える立場にある教師、授業を受けている高校生や大学生が、同じ学び手として学び合う場を本企画が実現していると評価していただきました。「めったにない場」であるため、来年度もぜひ続けてほしいという力強い励ましのお言葉もいただきました。来年度も、参加者が直面している「学び」の場を再考する場として、本フォーラムを開催する予定です。皆様の参加を、お待ちしています。
以下に、参加者の方からいただいた感想を一部紹介します。
高校生から
・改めて教育に対して考えてみることで、今までよりさらに、教育に関する意欲が高まりました。様々な見方を知って、自分の興味も広がったし。夢も広がりました。来年も参加したいと思います!!
・私は教員を目指しているわけでもなく、教育に興味があるわけでもなかったが、今、学校で学んでいる高校生にとって、これからの学校生活や、いつか子をもち、教育する側となった時期の考えに大きな影響を及ぼすゼミだと感じた。もっと色んな人に興味をもって参加してもらいたい。もっと参加して「遊ぶ」「できる」「考える」を成長させていきたい。
社会人から
・佐伯先生の文献も勉強になりましたが、グループで話し合うことがとても楽しかったです。年代、立場の違う5名で話し合ううちに、日ごろ思っていること、人生観、仕事観までさらけ出して考えることができました。貴重な機会をありがとうございました。
・最近、子どもたちと授業をするときにおもしろがることを忘れてしまっていたし、遊びが足りていなかったなと思います。今年は今日しか参加できませんでしたが、今日からまたおもしろいことができないか考えながら、探しながら仕事をしたいなと思います。
・高校生や大学生と一つの話題について話し合う機会が有意義でした。普段、付き合いのない人たちとの会話は、新たな視点で教育について考えることができました。教職に魅力を、高校生や大学生にどんどん発信していく機会をもっていかないといけないと思いました。確かに教職はブラックな部分もありますが、それ以上に楽しいこともあると若者に伝えていかないと今後の山形の教育が成り立たなくなるのではないかと危機感を持っていました。しかし今回(3回)の話をした高校生、大学生、院生はとってもしっかりしていました。このような人材が教職を目指してほしいと思いました。
(担当:森田智幸(文責)、江間史明、山科勝)
令和3年12月5日(日)、12月11日(土)、12月19(日)に「第4回学びのフォーラム」を開催しました(主催:大学院教育実践研究科・地域教育文化学部、後援:山形県教育委員会)。
フォーラムでは、これまでに引き続き、「学ぶとはどういうことか」を主題に、高校生・大学生・社会人の合同でゼミナールを行いました。平成27年度から、高校生と大学生を対象とした合同ゼミナールを始めて、今回で7回目です。
今年度は、3回の開催で合計150名(高校生75人、大学生20人、社会人55人)の方に参加していただきました。参加した高校は、次の16校でした。新庄北高校、東桜学館高校、寒河江高校、谷地高校、山形東高校、山形西高校、山形北高校、山形中央高校、長井高校、南陽高校、米沢興譲館高校、米沢東高校、酒田東高校、酒田南高校、新発田南高校(新潟県)、静岡学園高校(静岡県)。ホームページをみた県外の高校生の参加もありました。
今年度の学びのフォーラムでは、対面/オンラインのハイブリッド型開催に新たに挑戦しました。各回11名から15名のオンライン参加者がありました。宮城県南三陸町や宮城県仙台市などの県外に加え、山形県酒田市、鶴岡市、新庄市からの参加者です。対面の教室では新型コロナウイルス感染症への十分な対策をとる一方、オンラインは、感染症対策にとどまらず、参加者の広がりを促すメリットがありました。
合同ゼミナールのテキストは、佐伯胖『「わかり方」の探究』(小学館)です。全3回、森田智幸准教授がコーディネーターを担当しました。3回目の12月19日には、テキストの著者である佐伯胖氏(東京大学名誉教授)に対面で参加いただき、適宜コメントと、最後に総括として講評をいただきました。
12月19日は、テキスト第3章「『遊ぶ』ということの意味」の節を読み、「学び」と「遊び」の関係について、特に、「遊び」の中で起こる「けんか」について考えました。「けんか」はよくないことだと思ってきたにもかかわらず、テキストでは、「対等なけんかをしましょう」とされている点、また、「遊びと学びが渾然一体」と述べられていることと「けんかをすることの意味」との関係について、よくわからないという疑問が高校生から出てきたことがきっかけです。
会場のグループからは、周囲からの評価を気にしてしまい「けんか」をしないようにしていることへの気づきや、けんかの仲裁が保育者または教育者側からの基準に基づいてなされてしまっていることへの気づきが出されました。
佐伯氏からは、きちんとけんかをするように促す保育の事例が紹介されました。遊び道具として台車を取り合うけんかをした2人の子どもがいたとき、けんかに勝ったほうに、見ていた2歳児が「〇〇ちゃん、それで本当に遊びたかったのね」と声をかけたら、勝った方の子どもが台車を手放し、けんかをしていた子どもと一緒に遊ぶ方法を考え始めたということでした。「けんかをやめなさい」と大人が介入してもこのようなことは起こりません。相手と真剣に向き合うからこそ、本当にやりたかったことが結果として見えてくるというお話でした。J.デューイが、著書How We Thinkの中で、遊び心playfulと真剣さseriousとは、同時に成立しうると述べていることも合わせて紹介されました。
この佐伯氏の話を聞いて、ある高校生は、日常の出来事と重ねて、友達に何かを教えようとしたとき、わかっていたつもりだったことが、実はわからなかった自分に気づいた経験を紹介してくれました。その経験は、友達に何とか教えたいという真剣さの中に、見えてきた、それまでは見えていなかった自分の姿なのかもしれません。
この学びのフォーラムについては、サテライト会場の設置など山形県内他地区においても開催してほしいという要望をいただいています。その期待に応えられるよう、来年度以後も開催形態を模索していきます。来年度も、参加者が直面している「学び」の場を再考する場として、本フォーラムを開催します。皆様のご参加をお待ちしています。
令和4年12月20日(日)、「第5回まなびのフォーラムin小白川」を開催しました(主催:大学院教育実践研究科・地域教育文化学部、後援:山形県教育委員会)。
フォーラムでは、これまでに引き続き、「学ぶとはどういうことか」を主題に、高校生・大学生・社会人の合同でゼミナールを行いました。平成27年度から、高校生と大学生を対象とした合同ゼミナールを始めて、今回で8回目です。
今年度は、3回の開催で合計125名(高校生37人、大学生27人、社会人61人)の方に参加していただきました。参加した高校は、次の14校でした。新庄北高校、北村山高校、東桜学館高校、谷地高校、寒河江高校、山形北高校、山形西高校、山形南高校、長井高校、酒田東高校、酒田西高校、鶴岡南高校、鶴岡北高校、鶴岡東高校。
今年度は、初めて置賜地区(山形大学米沢キャンパス)、庄内地区(山形大学鶴岡キャンパス)において開催しました。「学びのフォーラムin置賜」の当日8月4日(木)は、豪雨とそれに伴う河川の増水等の影響により、公共交通機関の運休や主要道路の通行止めなど、実施の可否を直前まで検討せざるをえない状況でした。そのため、当日朝にオンラインに限っての実施を決定しました。難しい状況にもかかわらず、4人の高校生、3人の大学生、3人の社会人の合計10人の参加がありました。参加した高校は、長井高校、酒田西高校の2校でした。
「学びのフォーラムin庄内」は、7人の高校生、6人の大学生、11人の社会人の合計24人の参加がありました。参加した高校は、酒田東高校、酒田西高校、鶴岡南高校、鶴岡北高校、鶴岡東高校、新庄北高校の6校でした。数多くの高校から参加していただいたことに深く感謝いたします。
3回目(小白川キャンパス開催)の12月19日は、テキスト第3章「『遊ぶ』ということの意味」の節を読み、「学び」と「遊び」の関係について考えました。その中でも、特に、「ゲーム」の世界やスポーツにのめりこむことの意味をどのように考えればいいのか考えました。「ゲーム」や「スポーツ」は、見方によっては「賞金」や「商品」の獲得を目指した活動のようにも見えます。一方、見方によっては、「遊び」と「学び」とが渾然一体となった活動にも見えます。高校生、大学生、社会人とがグループで考える中で生じた、この疑問に対する答えを考えることにしました。
佐伯氏からは、「スポーツ」にのめり込むことの意味を、「想定外」と対峙することのおもしろさとして考える重要性について話題提供がありました。サッカーワールドカップの試合や、大谷翔平選手に魅せられる点はどこにあるのでしょうか。佐伯氏によれば、それは、選手がいつも「想定外」と対峙しているからです。「想定外」と向き合う、その緊張感にこそ、おもしろさがあります。授業に「想定外」との対峙は、どれほどあるでしょうか。「賞金」や「賞品」の獲得は、「想定外」の事態への向き合い方に対する評価です。それは、事前に基準があってなされている評価ではなく、「後付け評価」です。「想定外」と向き合い、その結果生まれた様々なものを「味わうappreciate」することが「評価」です。日常的な教育活動における評価は、こうした「後付け評価」となっているでしょうか。昨年度同様、J.デューイが、著書How We Thinkの中で、遊び心playfulと真剣さseriousnessとは、同時に成立しうると述べていることも合わせて紹介されました。日常の教育活動に、その両立は実現されているか、参加者各自が改めて見つめ直す機会となりました。来年度も、参加者が直面している「学び」の場を再考する場として、本フォーラムを開催します。皆様のご参加をお待ちしています。
以下に、参加者の方からいただいた感想を一部紹介します。
【高校生】
・とても楽しい時間でした。学年、年齢が異なる方々とグループになって、違う目線で意見を交わし、確かに!って思ったり、知らなかった!と思ったり、いつもクラスの中で同じ学年の人と話してるのとはいい意味で全く違う感覚でとても新鮮でした。
・今まで"考える"を考えたことがありませんでしたが、学びのフォーラムのお陰で考える機会になりました。ありがとうございました! 普段何気なく行なっていることだからこそ、日常を振り返り見直すことができました。 学びのフォーラムの1番の魅力は、高校生、大学生、そして先生が一緒に意見交換をすることだと思います。違う日常で違うことを考えているので様々な角度から物事を捉えることが可能になり、より理解を深められました。
・今まで勉強するときに、コスパよくやろうとしたり、点数だけ取りに行こうとしたりして定着に至らないことが多々ありました。遊び心をプラスすることで、いつもつらい気持ちで取り組んでいた勉強が楽しみになる気がしました。今日の話を忘れず学び続けていけたらいいなと思います。
・人と意見を交換し合うことはすごく楽しくて、現役の先生の意見も聞けたので参加してよかったと感じた。先生からの視点でどのように生徒を思っているかは普段聞けないので貴重な体験ができた。高校生は他人の評価を恐れていることが多く、遊び心がなくなってしまうことも多い。今日の話を聞いて、遊びがなければ学びもないことが分かり、これからの生活にも、人生でも、遊ぶことを意識するべきだと思った。自分は教職、山大を目指しているのでまた来たいです。
・学校で行っている勉強は本来の学びから外れがちになりますが、それを学びに転じられるように自分で工夫していきたいと思いました。
・社会人の方や教員の方、教員を目指す大学生とお話をさせていただき、とてもいい経験ができました。私は今回進路選択をするヒントを得たいという思いから参加しましたが、私がこれから学習する際のヒントまで知ることができ、まさに想定外の学びになりました。来年は共通テスト1か月前ということで勉強に追われていると思いますが、今回学んだことを胸に、教員を目指してがんばりたいと思います。
【大学生】
・初めて参加させていただきました。現役の先生方と高校生のみなさんとの交流を通して、時には高校時代を強く思い出し、時には自分の将来像をイメージするなど、普段の大学(講義)では得られない考え方や知識を身につけることができました。今の学校教育の中で「勉強」と「遊び」を結びつけることは難しいのではないかと感じていましたが、今回のフォーラムを通じて、少しヒントをもらえた気がしています。これからの大学生活、そして、自分が描く教師像に大きく生かしたいと思いました。ありがとうございました。
・大学のゼミでは、「いいこと思いついちゃった」、「ねぇ、きいて」と伝えて一緒に考えることで学びを実感できるのに、教育実習では、「進めよう」とか「評価」とか考えてしまうなぁと思いました。
【一般】
・初の庄内会場でのフォーラムに参加できたことを光栄に思います。年齢や職業など様々な属性の違いを越えて学び合うことの良さを実感しました。学校の教室の学び以上に、複雑なインタラクションとわかり合いが起きることに気付くことができて、大変有意義でした。
・様々なお立場、経験、年齢の方と同じテーマでお話しする時間は大変有意義だった。自分の見方が広がることで、新しい気づきや自分の考え方を練り直すきっかけになります。がっちり教え込まれて、前を向いてしっかり聞き、しっかり書く(黒板を写す)、今日は○○がわかりましたね!という方法で育ってきた自分にとっては、慣れるまで対話を続けていく学び方には違和感がありました。後からじわじわと効いてくる、そこで完結しないからこその学びは楽しいし、ワクワクしてきます。子どもの前に立つ教師として、こんな学ぶことの楽しさやワクワクを子どもたちに与えていきたいです。 この1年半、眠っていた感覚が戻った時間で、本当にいい刺激になりました。楽しい時間でした。
・教員OBの立場として、「教育を語る」喜びは幾つになっても変わらないものである。しかし高校生とは50歳以上の年齢差があるが、彼女らの純粋な言動と感性から大きな励ましをもらった。切実なのは、若き優秀な者たちが教職を目指さないこと。このフォーラムにもう少し多くの高校生の参加を促して、教育の魅力と面白さと不可思議さを先輩が熱く語り継ぐ必要がある。それは地元に根差した地方大学の責務でもあるだろうし、私達教員OBの役割でもある。
・毎年頭の中をデトックスできる本当に貴重な場です。「評価」の難しさ、危うさ、怖さについて確認できた一方で、「鑑識眼的評価」や「後付け評価」など希望をもつこともできました。評価する側が問われるようになってくると思うので、これからも学び続けたいと思います。
・学部生のころに参加した「学びのフォーラム」と、教員になってからの「学びのフォーラム」は、文献の見方も、同じグループの方や佐伯先生の話の解釈も変わりました。4月から担任として子どもたちと過ごす日々はとても楽しいですが、本当にいろいろなことが起こり、まじめな心だけではやっていけないこともたくさんあります。佐伯先生のお話にあった「想定外のことに体をひらくこと」「いいこと思いついた」は、明日からの子どもたちとの生活で大事にしていきたいと思いました。久しぶりに大学の先生や研究室のみなさんいあえて元気をもらえました。明日からもがんばれそうです。ありがとうございました。
・高校生のころから参加して、何度も「勉強」=「学び」―「遊び」だということについて考えてきたつもりだたが、いざ教員として働いてみると「遊び」、できていないなと感じました。「それおもしろいね」と子供に巻き込まれてみるというのも大切だと思いました。
・「遊び」とは?「学び」とは?「能力」とは?という話題にはこれまで結構なってきたが、今回の「評価」が話題になったのは個人的にすごく楽しかった。働いているとますます「できる」とか「わかる」とか「学ぶ」ということが何だろうと考え始め、自分自身が「能力信仰」「勉強」に浸食されていることに気づく。ポジティブじゃないとやっていられない!!子どもの前に立っていられない!という日々の中でも、「いいこと思いついた!」を即試せるのが教師の魅力だということに今日、気づかされた。
令和5年度「第6回学びのフォーラム」を12月3日、9日、17日に開催しました。(主催:大学院教育実践研究科・地域教育文化学部、後援:山形県教育委員会)。
今回のフォーラムでは、これまでに引き続き、「学ぶとはどういうことか」を主題に、高校生・大学生・社会人 の合同でゼミナールを行いました。平成 27 年度から、高校生と大学生を対象とした合同ゼミナールを始めて、 今回9回目になります。今年度は合計115名(高校生44人、大学生24人、社会人47人)の方に参加していただきました。参加した高校は、次の11校でした。東桜学館高校、寒河江高校、山形東高校、山形西高校、山形北高校、長井高校、南陽高校、米沢中央高校、札幌日本大学高校、聖ヨゼフ高校、佐賀清和高校です。一般参加者の中にも、福島、宮城をはじめ、大阪府等、県外からも多くの方々に参加していただきました。
3回目12月17日(日)には、テキストの著者である佐伯胖氏(東京大名誉教授)をお呼びして、テキスト第3章「『遊ぶ』ということの意味」の節を読み、「学び」と「遊び」の関係について考えました。
今回話題になったことの一つに、遊びの自発性があります。遊びとは自発的なのか。それぞれのグループで、夢中になった遊びの経験を具体的にたどってみると、遊ぶという経験は自発的とは言い切れない過程があったことが見えてきました。佐伯氏からは、幼稚園の子どもが遊びの中で使う「いいこと思いついちゃった」という言葉のおもしろさを紹介していただきました。その活動に参加している中で、思いついてしまうことが遊びという活動を展開している。この展開を説明するには「中動態」の語り口が必要であることが提起されました。「中動態」は「能動態」でも「受動態」でもない、私たちが日常的に使っている語り口です。「見る」「見られる」ではなく、「見えてくる」。「する」「される」とは違う「してしまう」世界に注目する魅力があります。「勉強」は「する」「させる」世界ではなく、「勉強になる」もの。
高校生からは、「遊び」の重要性は分かりつつも、普段の学校生活ではなかなか難しい、どうしたらいいか、という率直な悩みも投げかけられました。佐伯氏からは、J.デューイが、著書 How We Think の中で、遊び心 playful と真剣さ seriousness は同時に成立しうるだけでなく、それが最も理想的な状態であると述べていることも合わせて紹介されました。
やりとりの中で、本フォーラムの中でつくられた方程式も共有されました。佐伯氏の著書には、「勉強=学び―遊び」という方程式が出てきます。この方程式は現代社会における学び、遊びに対する批判としては成立していても、高校生の学校生活にとっては何ができるか探るには難しいものがあります。その中で見つけ出したのが、移項するという考え方です。「学び=勉強+遊び」。私たち一人ひとりが、真面目心と遊び心を同時に追求することが、よりよく学ぶ一歩になる可能性がある。
それぞれどのような工夫ができたのか。来年度またフォーラムでお会いしましょう。
以下、参加者の感想の一部を紹介します。
【高校生】
・遊び心とまじめ心が同時に併存するんだという新たな発見がありました。「勉強」、「学び」、「遊び」はそれぞれ、まったくの別物だと思っていましたが、その3つがあって、それぞれが成り立つのかなと思いました。今日気づけたことを将来に生かせるように、自分の希望する職業に就けるようこれからの勉強を頑張っていきたいです。とても充実した時間でした。
・教育について生徒の立場から考えることができて面白かったです。現職の先生が思っていることも伝えていただいて、普段ではありえない不思議な関係で、本音で話せて、これから生徒としてはどうしていこうかとも考えられて楽しかったです。ありがとうございました。
・「遊ぶ」ということを深く考えることはなかったし、それを様々な立場の人と意見を交わすことができていい経験になりました。どうしても教師になりたい!という背景には「教える」という概念がついてしまい、どうしたら人に伝わるかななどを実生活で考えてしまいますが、〇〇させるという使役動詞は使うべきではないのかなと感じました。また、学びの背景には遊びが、遊びの背景には学びがあるべきなのに、気づいたら高校では勉強することが中心になっていて、いつからそうなったんだろうとも考えさせられました。大学生の方や教師の方と話して、自分とあまり歳が変わらないのに、考え方や言葉がすごくて、自分も頑張りたいというモチベーションになりました。ありがとうございました。
【大学生】
・現職の先生方とも、教師として子どもと接している中でのエピソードも交えながらお話を伺えたのが非常のよかったです。「遊び」や「学び」については、私の中で答えを見つけられませんでした。遊びも、学びを進める上では大切で、遊び心とまじめ心を行ったり来たりすることで学びがどんどん深まっていくのかなというイメージが湧きました。授業においても子どもが遊び心を抱きながら夢中になって取り組んでいくことは理想的だと感じつつも、非常に難しいと思いました。「遊び」の観点からも、授業の在り方や教師のあり方について、もっと考えていきたいです。
【社会人】
・とてもエネルギーをもらった時間でした。教員1年目ということで毎日生きることに精いっぱいで大学院の時に学んだことを忘れていっている感覚がありました。こうやって佐伯先生の本を読んで語り合うことを通して、大切なことを思い出すことができました。今日いただいたパワーをつかって明日から仕事がんばります。
・教師の役割を考えさせられた時間でした。教えなくても子どもたちは自分たちで学び合っていく。そんな姿を求めて私自身も楽しみながら追究していきたいと思います。振り返ると、子どもたちが「今日の授業おもしろかった!深かった!もっと自分でやりたい!」と言い出すときは、互いの発言や姿から授業が進んでいる時だとやはり思います。高校生の話からも仲間とつながって学んでいる時が楽しいという話がありました。そんな生徒の姿を目指していきます。ありがとうございました。
・「教師」をおもしろがってやることを目指します。教員不足を解消するためには、働き方や給料を改善することが今まで一番大切だとおもっていましたが、「教師の魅力」をいろんな人に伝えていく、そして、私たち教師が魅力ある人物になっていくようにしたいと思います。